うつ病だった頃の雑記(不眠、薬など)

僕は今でこそ元気いっぱい幸せいっぱいですが、28歳~30歳頃は不眠とうつで苦しんでいました。

今見返せば、20代までの自分の生き方、不幸癖ともいうべき思考パターンなどが積み重なって引き起こしたのだとよく理解できます。

逆の見方をすれば、現在の自分があるのは、その時期に人生を強制リセットし、生まれ変わるキッカケを得られたわけですので、貴重な出来事でもありました。

当時はブログというものは存在しませんが、比較的元気を取り戻した時期に書き散らしたウェブページのアーカイブが見つかったので、このブログに残すことにします。

この記事では、不眠抗うつ薬に関する雑記を抜粋しました。暇な人はお読みください。。。

朝起きられない

(猫以外に)何も、ない
僕が「うつ病」ではないかと
気付いて1年ほどになります
きょうは朝起きられませんでした
目が覚めても体が動かないのです
正確には「動かす気がない」のです
僕がよく会社を遅刻すると
他人は
「起きる気がないから起きられないんだ」
といいます
全くその通りで
でも
そんな「ほんの少しの元気」
さえも失ってしまったら
どうしたらよいのですか
(2002年9月)

※2000年(?)~2002年の前半までは死ぬことばかり考えているような状況だったせいか、記憶がほとんどありません。文章もこれ以前のものは残っていませんでした。

久しぶりに会社に行けた

疲れた
今日、久しぶりに会社に行けた。

仕事がたくさんたまっていたから
とてもうんざりしたけど
でも行けた。
行けたけど
着いたのは夕方で
その後クルマの中で寝てしまって
仕事を始めたのは夜9時過ぎ

それでも先週は週休6日
つまり平日5日のうち
4日も無断欠勤してしまったから
今週の始まりとしては
まだまだマシなのだ
よかったよかった
と思うことにしよう
(2003.4.14)

無断欠勤を続けながら、よくクビにされなかったな、と驚きます(笑)
当時は残業申請したうちの1割位しか残業代がでなくて、サービス残業の履歴を上司に見せて、残業消化、と言い訳してました。仕事がハードすぎて頭がおかしくなってしまった部分もあるので、上司も文句言えなかったのでしょうか。

眠れない

ちくしょう。
まったく眠れない
今日は早く出社して会議に行かなければならないのに

睡眠薬と安定剤はいつもの量
サイレースを増やして飲んでみる
養命酒を1杯飲んでみる
煙草を2本吸ってみる
眠れない
(03.04.16早朝)

この頃はヘビースモーカーでした。当時、好きなものは酒と煙草、缶コーヒー(砂糖がたっぷり)。いやー身体に摂り入れているものがだいぶ、やばい感じです。

1ヶ月の休職と、幻覚

先週火曜日に、ついに担当医から「休職」を勧められる。
その日の夜に上司と相談し、次週から「1週間」の休職を認められる。
土曜日に診断書を書いてもらい、そのまま会社で仕事の引き継ぎを
行う。但しその日の病院で、医師と看護婦の説得で休職期間を1ヶ月
とすることになった。
会社はどうなるんだろう・・・。
 
今日は休みをもらって2日目。
昨日はPM5時に起床・・・(汗)いつもと変わらない。
今日は何とかお昼に起きて、人生初の「金縛り」を経験。


うちの猫が俺のふとんの上を歩いてくる。。。
よくあることなので、撫でてやろうと手を伸ばすとそこにはいない。

ま、いいや。しかし選挙の車がひっきりなしに(・・・御声援ありがとう
ございます、矢島○○でございます)とウルサイので眠れやしない、
プンプン。

なんて考えていると、また足下からオレの胸のあたりまで「ガサゴソ」と
猫が歩いてきたので、首だけ上げて見ると部屋のドアが閉まってる。
つまり猫は入ってこれないのだから、これはリアルだけど幻覚だ、と
とりあえずは自覚した。クスリのせいかな?でも一度凍死しそうになった
時に見た幻覚はこんなにリアルじゃなかったような・・・ちゃんと「肉球」
の感触あったし。

って猫を確認しようと寝返りを打つと、目の前に・・・
「真っ赤に染まった女の顔」・・・怖くはなかった。

参ったな・・・このまま起きて病院行こう。と立ちくらみで転びそうになり
ながらとりあえず起きた。


で、医者に相談したら「(クスリとは)関係ない」って。
ついでに長期の休みをもらったからクスリを強くすることになった。
ソラナックス、ルボックスはそのまま(たぶん)で、サイレース(前はプラスレンドルミン)だったのが、よくわからない青い錠剤の睡眠薬に変わった。
サイレースじゃ眠れなかったからなぁ。
(03年04月23日)

休職は良いことですね。確か、この休職期間中の一人旅や勉強で、次の人生を考えるきっかけが得られました。つらい状態で会社に行っていると、前を向くのはなかなか難しいです。

ちなみにこのとき処方された青い錠剤は、ハルシオンです。

23時間寝た

きのう友達と漫画喫茶へ行って(僕だけ少し寝てしまったのですが)
朝方まで漫画をよんで帰ってきました


AM6時に眠剤飲んで寝て・・・・・
・・・・・AM5時に起きました??


はあ。
23時間寝続けたワケですねー
気付いたらG/W終わっていました、とさ。


まあ、オレは休職中だからカンケーないけどさ
今日はちゃんと勉強しよう

(2003年5月6日)

不眠でしたがハルシオンに変わってから眠れるようになってきたんですね。ただ完全に睡眠リズムはおかしくなってしまった。あと時間の感覚が全く狂ってしまった。

50を切る

先日病院へ行き、待ち合い室で体重を量った。
中学生以来でしょう。50kgを切った。
体脂肪率は6.5%であった。

49.5kgでも50kgでもたいして変わらないわけだが
どうも人間が作り上げた10進法での「切り」というものに
結構影響されている自分に気付く。
「げ。40kg台だ・・」というショックをうけ、何となく体重が10kgも減ったような大袈裟な感覚を持ってしまったことに対して、だ。

僕のここ数年の平均体重は54kg前後だと思う。
さすがにここまで落ちると目眩も起こすし体調も何となく
優れないものだ。
 休職中の目標のひとつに体重5kgアップを追加した。
スキを見てはダンベルを持ち上げている。

休職期間に入ってからクスリが変わったのだが、
中身がやっと判明した。
サイレースが無くなり、ルボックス、ハルシオン、
アルプラゾラム、塩酸クロルプロマジン。

調子はだいぶ良くなったが、夜クスリを服用した後は
妙にテンションが高くなり、ラリっている。
そういう状態で書いた文章は次の日読むと恥ずかしい。
(2003年5月10日)

一番少なかったときで、48キロ代まで体重が落ちたんですよね。身長が173cmなので、ガリガリです。まぁ食欲がないし、タバコばかり吸ってたから仕方ない。

注目すべきは、「目標」という言葉を使っていること。生きることに前向きになっている証拠です。休職バンザイ。

ちなみに、今では69kgです。20年近く経ち、20kg近く増えました(^^;

悔しかった出来事

えっとですね、ムム、くやしい。

確かに「ハルシオン」ていうのは有名で
俺だって知っていた、と思っていたのだが。
フト思った。

あれ?実は「オラシオン」とか「ハルジョオン」
なんていうモノ(馬、植物)と勘違いしていなかったか?

自分って本当に信用ならない。
最近夜に書いた文章、メールなどの内容を覚えていない
ことが多い。おそらく健忘症だ。
ケン坊ではないことはマチマイない。


エトですね。ムム、くやしい。

そうです。話が最初から逸れておりました。

実は先週、僕の隣で猫の「よた」が寝ていたのですよ。
うちの猫っていうのはとても寝相が悪く、ある時は
丸く、ある時は長く(1m弱)、そして他にも
バリエーションが多いのですが、あーカワイかったなぁ。

お腹を上に向けて、更に両手を挙げて「バンザイ」していたのですよ!
万歳して寝ます?他の家の猫。


そこで僕は慌ててしまって、
シャッターチャンスを逃すまいと早速デジカメを取り出したのですが、
今まで経験したことのないエラー表示。

どうやら記録媒体が壊れていたらしい。

それでも僕は諦めず、一眼レフカメラを出してきてニャンコの
セクシーショットを狙ったのだ。ところが!

フィルムがなかったのです、こんな大事な時に!!


でもですね、僕には強い味方がいたんです。
J-PHONEのデジカメ機能。

そだそだ。電話だけど今日はカメラで失礼しまーす!
とはりきりつつ、まんまと
猫の「万歳ショット」を撮ることができた。

別のアングルからも計3枚とり、「万歳三唱!」
というわけなのだ。そうです。諦めてはイカンのです。


で、デジカメのスマートメディアも壊れたし、電話の
SDカードのリーダーがないかな?とK電機に行きました。

そうしますと、スマートメディアもSDカードも使える
リーダライターがあるのですね。知らなんだ。

早速購入し、「ネコネコ」唱えつつ、ドライバをインストール
しようとしたのですが、出来ないのです。

問い合わせるとCD-ROMの故障だ、ってんで
新しいドライバをメールで送ってくれたのですが、
今度はマウスとキーボードと衝突しやがって。

んもう素人だと思ってナメるんじゃねーぞ。
といって何とか接続に成功したのだ。
猫のためなら何でもやってしまうのだ。

で、いよいよSDカード挿入。ところが、データが入っていない。

ありゃ?
おそらくデータが電話のメモリに入っていたのだ、と考え、
電話の方で、「うりゃ!」とSDカードにデータの一括移動を試みた。

「本当に実行しますか?」とメッセージが出たけど、
そこもオトコらしく、「うりゃ!」と実行し、
今度こそ、ねこ猫・・といいつつ、PCにつないだ。

ところが、データがない、のである。

まさかないことはないでしょう、岡野君、もう一度やって
みなさい、ということでもう一度試みた。

そして電話に戻って愕然。

全ての画像データが消えちゃったんです、
どうしたらいいでしょう・・・?オロオロ。

とコーヒーに食塩を入れて社長に出してしまった秘書(美人)のように、
かなり動揺してしまった。

なにしろあまりにフシギなカタチで寝ていたので、
このページのTopに飾る予定だったのだ。


全く最近の機械はモロくていかん。しかも構造が全くワカラン。

昔のテレビは叩けば直ったが、
今流行りの2つ折りタイプの携帯電話を広げて叩こうものなら、
ヒンジは破壊し、液晶もしんでしまうだろう。

弱い時代になったものだ。あーくやし。

(2003年5月20日)
よた(2001年当時)
よた(ロングタイプ)
よた(丸タイプ)

スマートメディア、J-PHONE(似てるけどiPhoneじゃないよ)。時代を感じさせます。飼い猫「よた」は当時3歳前後でしたが18歳まで生きて旅立ちました。しかしテンションの高い文章だなぁ。

さて、続きを投稿します。

とてもびっくりした話

先週金曜日、那須の「銀工房」に行ってきました。

作品造りに熱中し過ぎて帰りが遅くなってしまったため、国民休暇村に一泊することにしました。
途中でビールとつまみ、それと夕食がわりにカップ焼そばを購入し、夜9時にチェックインしました。

ひとりで晩酌し、いい気分になって温泉に浸かり、11時過ぎに寝てしまいました。

電子音が鳴ったので、目覚めて携帯電話を確認すると、電池切れで電源が落ちる音でした。8時に目覚ましをセットしておいたのに困ったなぁ、と思いつつ、時計を見ると6時半でした。

チェックアウトまではだいぶ余裕があるので、二度寝しました。

次に目覚めた時は頭がスッキリしていました。

一度目覚めてから3、4時間は寝たカンジだったので、おそらく9時から11時位の時間帯だろう、と予測しながら腕時計を確認すると、「ヘン」な時刻を指していたので、

「うーん、どうしてだろう。とりあえずゆっくり考えよう」

と思い、お茶を煎れ、コンタクトレンズを嵌めました。そしてお茶を飲みながら落ち着いて時計を見ると、

「5時」を示していました。
「アレ?」またやってしまった(もう夕方だ)、と思いました。

僕は睡眠リズム障害なので、寝過ごしてしまうのは朝飯前なのです。
しかも寝過ごしてしまうと朝食抜きのため、朝飯前になり得ないのです。

僕はとりあえずテレビを付け、今後の行動計画、特にフロントへの言い訳を考えようとしました。

その時テレビ(NHK)では台風4号の生中継をやっていました。

確かにその放送中、スタジオアナウンサーが
「長崎では今日のお昼頃には風は収まる見込みです」
と言っていたのですが、アナウンサーが「今日の昼」と「明日の昼」
を間違えたのだろうと思い、気にしませんでした。

お茶を飲み、テレビを見ながらゆるりと考えを巡らすと、ひとつの動かし難い真実が見えてきました。

「既に夕方である以上、延泊料金を取られるだろう」
「しかも、あと1時間もしないうちに夕食が出てくるはずだ」

ということです。
つまり、今日が土曜日であることを考えれば、そのまま延泊してしまえばホテル側、旅客側双方円満に解決、ということです。

僕は勇気を出してフロントに電話をしました。もちろん、延泊の申し出をするためです。

「えー、と。モシモシ」
「お早うございます!フロントです」

「!??????・・・アレ?」
私「スイマセン、変なコト聞きますけど、今、朝ですか夕方ですか」

フロント「・・・?朝、ですけど?」
「!!!!!!!!!」

あああああああ!やってしまった!

僕はこの時即座に計算しました。
つまりは30時間くらい寝てしまい、恐るべきことに土曜日はあっという間に過ぎ去り、悪夢の日曜日がやってきてしまったのだ、と考えました。

「あ、の。スイマセン。。。僕、とても朝が弱いのです。
今日は、エト・・・日曜日ですよね?」

「土曜日ですけど??」

「!?!?!!!!????!!?????????!」

かなり、パニックに陥りましたね。たぶん一瞬だったんでしょうけど長い時間に感じました。

・・・今日が『ただの』土曜日の朝だ、と気が付くまで。

つまりいつになく早起きしてしまい、しかも途中に目覚めて確認した時間は
6時半ではなく、「夜中の12時」だったのです(たぶん)。

僕の時計はG-SHOCKですがアナログタイプの物なので、上下逆さに
見ていたのだと思います(たぶん)。

結局、朝風呂に浸かり、7時に朝食をとり8時過ぎにはチェックアウトを済ませてしまいました。

日曜日の朝、と思っていたのが土曜日の早朝だった訳ですから、長い長い土曜日でした。あー、びっくりした。
(2003年5月31日)

このときのことは、今でもよく覚えています。寝たのが3時間なのか、30時間なのか区別がつかないって、よほどのことですよね。

寝過ごすことが多かったので、すっきり目覚めて当日の早朝だったのは意外すぎて思いもよりませんでした。

自殺について

あるサイトのアンケートで自殺に対しての賛否を投票していた。
結果は自殺肯定派が9割以上を占めていた。

もちろんサイトのコンセプトが「うつ」に関するものだったので、そういう結果になったのだと思う。

僕は自殺肯定派である。

但し、自殺をした人に対して、否定をしない、という(消極的な)意味である。

僕は今日1年ぶりに自殺願望に支配されたため、こんな文章を書いているわけであるが、圧倒的な自殺願望、実際自殺に追い込まれる程の願望というのは同様の経験をした人以外に否定されるべき種類のものではない。

自殺をするのは弱い人間だ。
よく耳にする言葉である。

自殺をするのは弱い人間だ。
その通りであると思う。

強い人間はよっぽどの事がない限り自ら死を選ばないだろう。

だからといって、弱い人間だから死を選び、強い人間だから生きることを選ぶ、ということではない。

自殺をするのは弱い人間だ。
このような正論を堂々といえる人間は結局他人事としか捉えていないからだ。

僕は今生きている。
僕は運がよかった。いや悪かったのかもしれない。

自殺間際にたまたまかかってきた一本の電話。
旧い友達である彼女は言った。

「死なれたら私がイヤだから、死なないで」と。

僕が死ぬ事によって彼女は一生止められなかったことに対する罪悪感を背負って生きて行かねばならぬという。

その通りだろう。とても正直な意見だと思う。
僕は自分の身勝手を認識し、時間が解決するまで耐えることに決めた。

僕が死を想う時、彼女の言葉を思い出す。
(2003年6月19日)

2003年のこの頃は、薬のお世話にはなっていたけれど、精神的にはだいぶマシになっていたはず。それでも会社の同僚に慰めで言われた「自殺するのは弱い人間だ!」という言葉が、心に突き刺さっていたようです。

親父

今日は親父の生活力の無さにうんざりした
家を出て行くのに
鍋がないだの
テーブルがないだの
そんな贅沢いってられる立場か?

そんな親父と血が繋がっているオレも
同じように生活力がないのだろうか

不安になる
心当たりがないわけでもないから・・・

今オレから薬を取ったら
不安で押し潰されるのだろうな
(2003年6月30日)

身内のことなので、公開すべきか迷ったけど、まぁいいや m(_ _)m
そういえば、そんなこともあったなぁ(というか幼少時は毎日もっと大変だった)。
大変そうに見えるけど、いま思い返すと、面白いなぁ、平和だなぁと思う。

父は、30年遅く生まれていれば、自由にのびのびと生きたんだろう。
いまの僕みたいに 笑

僕も昔から生活力がないけど、そう、「食うために働く」的な思考がないからなんだと思う。そういうの、興味ないんじゃ~。

三十路

気付いたら今月2日で30になりました。
三十路。
30、っていうとオトナだな、って思いますよね。
ハッピバースデイ。
それから。
最悪だった20代にさようなら。

(2003年7月6日)

30歳か~若いな 笑 この頃の僕に教えてあげたい。40過ぎたらもっと楽しいよ、ってな。

2分の1の出社

ここ1ヶ月間のうちで会社に通えた時間は
2分の1にも満たないでしょう。
今日もサボりましたし。。。

会社に行っても、何だかやる事がよく分からないのですよね。

3ヶ月程前までは、仮にもプロジェクトリーダーでしたから、自分で課題を整理して日程を組んで、なんとか一人で仕事をこなしていたワケですけど、

休職が決まってからさすがに課長も困ったらしく、「デキる」人を一人つけてくれたのです。

それ自体はとてもありがたい事で、抱えきれなかった仕事が大分削減され、自分の負担が減ったのですが、

まあ、僕が会社に中々顔をださない、と云う事が最大の原因なんでしょうけど、僕の仕事のアウトプットを課長が見てくれていないのです。

しかも僕が検討していたことを、課長と新しくフォローに入ってもらった人で別の設計観点から検討していたらしいのです。

そのことを最初から僕に云ってくれればお互い無駄なく仕事が出来ていたはずなのですが。

だから最近、自分なんて必要ないのではないかと考えてしまいます。だったら早く辞めさせて欲しいのに。
(2003年7月22日)

うんうん。これ、僕のせいですね 笑 すみませんでした~。
でも、デキる人って、誰だったかなぁ。記憶がないんだよなー

今日も全く眠れない

今日も全く眠れない。
ハルシオン、バーボン、養命酒、煙草・・・
色々飲んでみるのだが、頭は冴え渡り
体中の神経はピリピリと休まらない・・・

オレの後ろではネコが段ボールをガリガリ・・・
どうしたらいいのか全くわからない。

休職したくても有休がないから
給料がもらえなくなるのも困るので
踏み出せない

オレをこんなにしてしまった会社・・・
課長・・・なんとかならないでしょうか
(2003年9月2日AM4時)

弱っていたのでしょうがないんだけど、会社のせいにしているうちは好転しないね。現在の状況は、過去の自分が作っている。それに気づいてからがスタート。あと5年、修行が必要でしたね。

5時(またかよ)

今日は5時に目覚めました。
「やばー!」といいつつ、6時前に会社に向かいました。

車の中でラジオを付けたら、MorningUpMusicという、早朝番組
をやっていたので、「なんか変だなー」と思いつつも、急いで会社に行きました。午後5時過ぎに会社に行くことはよくあることなのです。

会社に着いてビックリしました。6時だというのに車が2台程しか
とまっていないのです。

そこでようやく気付きました。今、朝の6時なんだと。
で、帰って寝て起きたら午後4時でした。とさ。
(2003年9月16日)

2003年末に会社を辞めるまで、朝か夕方かわからない生活でした。なのでこのネタが多い。

不眠(2)

布団に入る
胸の動悸が速くなる
胸の動悸に集中する
胸に手を当てると 動悸の速さはそれほどでもない
と冷静に気が付く
数枚の平べったい思考が通り過ぎてゆくと
時計の音が大きくなる
いつしか時計の音は部屋中に充満する
時計の歯車のひとつひとつが
私の脳に食い込み
脳を破壊していく
破壊されて軽くなった脳は更に鋭さを増し
遠くバイパスを通る車の音を聞き分ける
私の五感は研ぎすまされ
左の上腕が痒いことが気になりだす
揺れる電気のひもが
口に残る睡眠薬の苦味が
寝る前吸った煙草のにおいが
空気清浄機の微かな音が
私の神経を刺激し
甘美なまどろみの世界から切り離す
切り離され
私は夢でもなく
現実でもなく
第三の世界を漂う

(2003年11月4日AM4時)

不眠はかなり辛かったのですが、そもそも、会社に行く、という前提があるからなんですよね。個人事業主として独立して数年は目覚まし必要なかったし、眠れなくても気にしなかった。

担任

朝方、僕は夢と現実の間を彷徨っていた。
夢の中では高校時代の友人と担任の佐藤先生と共にいた。

現実に還った僕は、「では今の担任の先生は誰だっけ?」
と必死に思い出そうとしたが、思い出せなかった。

その後再び深い眠りに落ち、そして目覚めた。
会社に行き、課長の顔を見て今朝の夢をまた思い出した。

そうだ。

今は会社員だから担任の先生などいないのだ!
思い出せる訳などないのだ!

そして、朝方の自分の思考を少し淋しく想った。
(2003年11月20日)

ユング派分析家の先生が教えてくれたけれど、抑うつ状態になるということは、強制的に内面と向き合う時間をもらった!というポジティブな目的があるのだそうです。

心理的エネルギーが逆流して内側に向かうのには、目的があるとユングは考えました。
その目的とは、内的不均衡を調整し、「内的適応」を達成させることです。
(中略)
心的エネルギーが内側に向かい、内的世界が活性化されると、自分の過去やコンプレックス、弱点、欠点に直面せざるをえないのですが、ここで内的な適応を達成したあかつきには、今までよりもっと本来の自分らしく、もっと成熟した状態で、改めて外的適応ができるようになります。マイナスがゼロになるのではなく、必ずプラスになります。

https://jp.quora.com/utsu-byou-ni-ku-shi-nde-iru-nin-he-no-saiteki-na-adobaisu-ha-nani-desu-ka

潜在意識にどっぷり浸かっているときは、夢の中か現実かわからない感じ。抑うつ状態だったり不眠だったりを経験したのは、潜在意識とコンタクトを取って、自分を取り戻していた期間だったのかな、と思います。

ところで、この間にも「うつ」「不眠」以外のよくわからない雑記があるので、それは別記事でまとめることにします。なんだか、本当によくわからないのだ。

幸せについて

僕は小さな頃から常に幸せを望んでいた。
そんなこと誰でもそうだと思うが
僕の場合はどうしたら幸せになれるのか
幸せになるためにどう物事を考え処理していけばいいのか
いつも考えていた。
「幸せオタク」だったのだ。

でも最近ふと気付いた。

辛い辛い「うつ」から解放され、
自殺願望はなく
殺意もなく
夜は涙を流さず
薬を飲まずに眠れ
心臓は正常に鼓動する。

心身ともに健康を取り戻したとき
突然解ったのだ。

幸せを望んでいるということは、
現在幸せではない、と証明しているのだ。

一生幸せを求めるということは、
一生幸せにはなれない、ということだ。

だって望みを手に入れたとき、
なお明日の幸せを求めるならば
今日も満たされていないことになる。

大事なことは、
「今」幸せであることを認識することなのだ。
「今」満たされていることを知ることなのだ。

今日もビールが飲める
今日も煙草が吸える
今日も猫がいる
学校に通っている
友達がたくさんいる
親とうまくやっている
今日暮らせる金がある
まだ独身でいられる
絵が描ける
文章が書ける
夜眠れる
明日もワックスが削れる
若い女の子と話せる
楽しく読んでいる本がある
楽しみにしているドラマがある
速いクルマに乗っている
毎日新しい知識が増える
とても満たされている。
(2004年5月31日)

30歳で、やっと気づきましたね~この人(笑)。これ読んで、未来の僕は嬉しくなりました。おめでとう♪

最近どうも

また不眠がぶり返してきたみたいなのね。
ま、不眠といったって、ずっと眠れないワケではなくて
朝方になると寝てしまっていて、午後には起きるのだけど
困ったなぁ、とは思う。
学校にもぜーんぜん行けないんだ。
半年とか、一年あとから入学して来たヒトたちに
授業の課題を先越されていたりすると
やはり焦るわけですね。
でもな、一度うつ病を克服したと自負するくらいだから、
辛いなんて言っちゃいけないよね。
今うつ病や不眠で苦しんでいるヒトたちに示しがつかないものな。
まぁ実際辛いことなんてないんだけどさ。
不眠で苦しんでいるヒトって、大抵仕事が忙しかったり、
大きなストレスを抱えてるんじゃないかなぁ。
ヒトの体って良く出来ていて、眠ければアクビをするし、
ホコリを吸い込めばクシャミや咳をして、酸素を補給したり
異物を吐き出したりするでしょう。
じゃぁ、眠れないってのにも理由がきっとあるんだな。
忙しい人って普段ゆっくり考えている暇もないでしょう。
他にやりたいことがあるのに出来なかったり。
眠れないときって、ストレスを緩和するために、ってのかな、
なんかこう、「どわっ」と時間を戴いた、と思うのね。
社会で生きていると、当然社会の時間に合わせて生活しなきゃ
ならないから、そりゃぁ朝8時に出勤しなきゃいけないとか、
10時に会議があるから一時間で資料をつくらなきゃ
間に合わないとか、あるけどさ。でも、それが自分の体と
合わなくなってきた、と、そーゆうこともありますよね。
会社ってグイグイ動くよね。恋愛もグイグイ動く。
グイグイにつられて自分もグイグイ動く。
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色。
ということですから所詮は。
話が少し逸れ気味ではあるが、そう、時間をね、
「どわっ」と戴いた。
眠れない時間は寝よう寝ようねようネヨウネヨーネよ!
なんて考えるのは勿体ないのです。
寝れない・・・ということは即ち起きるのが道理。
普段やれないことをやる。普段考えないことを考える。
眠れないヒトは、第一に、起きて、考えることをオススメします。
考えることが足らなくて眠れないのかも知れないし、
考えたけど、まだ明確な答えにたどり着いていないのかも。
オイラは書き物をしている方が考えが広がっていくので
このように書いているのです。
今、一時間前に飲んだ睡眠薬が効いて来たらしく、
ラリラリラーのコニャナティワ状態なので、そろそろ
筆を(筆を!)おかないと支離滅裂になってしまうので、
今日はこの辺で。
いったい何を考えたらいいんじゃーと思われる方のために
そのうちそのようなことにも触れたいと思います。

(2005年10月4日)

いや、そのようなことには一切触れませんでしたけども(笑)。
これ、2005年でしょ。この月、僕はビジネスをはじめました。

その後15年。色々あって、いまに至ります。

この当時の雑記アーカイブのうち、うつ・不眠以外のネタはこちら↓

雑記2(その他)
2003年~2005年頃の雑記のうち、ネタとして不眠とか関係のない、比較的元気なものをアーカイブしました。不思議な話が多いかな。追突2回×2先週土曜日、オレの愛車がトラックに追突されて潰された。でも走る事はできて、さら...

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