雑記2(その他)

2003年~2005年頃の雑記のうち、ネタとして不眠とか関係のない、比較的元気なものをアーカイブしました。不思議な話が多いかな。

追突2回×2

先週土曜日、オレの愛車がトラックに追突されて潰された。

でも走る事はできて、さらに保険の手続きなどの関係で今日まで修理もできずに乗っていたのね。

ムチウチで首も痛かったんだけど、病院が休みだったりして、明日行く予定だったのさ。
で丁度3日後の今日。

また追突されちゃったよ。
なんだなんだオレは呪われているのか??
更に首は痛くなるしホントどうなってんの?

でもジツはオレ、前の車の時も同じ週に2回もカマ掘られたことあるんだよねー。でも今回は最短記録更新しましたよ。

携帯電話に気を取られてオレにぶつかって来た当事者のオジさんは
「若いのにしっかりしてるねぇ」としきりに誉めていたし、

警察行って事情聴取してもカンタンに手続き終わったし。
(印鑑も持ってたし。保険の手続きしたばっかりだもんねー)

そりゃ、慣れますよ。そう度々追突されてちゃ。
トラックに追突されたS14

[char no=”1″ char=”ヤタガラス”]不思議なこともあるものですよね。つまり同じ週に続けて2回追突されたことが、2回あるんです。[/char]

最初に乗っていた車(トレノ)のときも、追突されたことがあります。バンパーを交換して、バンパーだけ新品ピカピカだったのですが、同じ週にまた追突されてバンパー交換しました。2回目は慣れたもので、その場で相手にバンパー交換代を請求し示談にしました(笑)

このときは、最初に10トンくらいのトラックに追突されたのですが、トラック会社って一般的に保険に入ってないんですね。しかも若いニーチャンが全く反省してなくて、会社も連絡が取れずに誠意が全く感じられず、困っていたんです。

保険屋さんにも頼れず、示談にも応じてもらえない宙ぶらりん状態だった3日後、信号待ちをしていたら・・・

潰れたトランクに再度、小型車が「コツン」とぶつかってきた。
乗っていたオジサンはびっくりしたでしょうね(笑)。ちょっとぶつかっただけなのに、トランクがほとんど潰れている!

僕にとってはラッキーで、オジサンの保険屋さんを通じて、トラック会社を含めて処理してもらうことになりました。車は修理できず、廃車になってしまったのでもったいなかったですが。

落とし蓋

人には底というものが存在するのか
僕がそう感じるだけなのか
彼にみえたものは何なのか
彼女にみたことは正しいのか

人に底があるのなら
僕は彼を見下げたのだろうか
僕の底はそれ以上に深いのだろうか

僕は自分で底を作った
自分の底を悟られないように
これからも人を嫌いにならないように
感情を隠す落とし蓋

きょう
久しぶりに人と接した
久しぶりに人付き合いを楽しんだ

独りになり

久しぶりに心の底から
涙がでた

僕の落とし蓋は
もう何十枚になるのだろう

どうしたら
沈澱した汚物を取り除けるだろう
誰か蓋を外し 
一枚一枚洗ってくれるだろうか

(2003年5月16日)

[まー恥ずかしい文章で(笑)。自分が書いたので、イメージはわかるんですよね。頭の中がミルフィーユみたいになってるんです。10代20代の頃の僕ってかなり繊細で、人の言葉のニュアンスとか矛盾とか細かく気にして、いちいち落ち込んだりするタイプでした。

基本的にうつ状態だったので、ただ人と話すことも辛かったんですよね。このとき、何があったのか忘れましたが、「人を嫌いにならないように」とか「人に嫌われないように」といろいろと取り繕うのに疲れちゃったんでしょうか(他人事のようだけど)。

ちなみに他人事は「ひとごと」と読むのであって、「たにんごと」ではないから注意が必要です。最近、「たにんごと」と発言する人をよく見かけるのですが、それは美しくない。

基本的には「人事」と書いて「ひとごと」なわけです。「人」と書くだけで「よそさま」という意味合いが含まれていますからね。

ただ文字面だけみると会社の「人事(じんじ)」と誤解を与えてしまうかもしれないから、粋な書き方として「他人事(ひとごと)」と置き換えた経緯があるのだと思っています。

だからこれを「たにんごと」と読んでしまったら元も子もないじゃん!!と思うわけ。

へー、なるほどなー!と思ったら他所様(よそさま)に教えてあげよう!

歯医者にて

先日、歯医者に行ってきました。
その時の歯科医との会話。
「今日はどうしました?」
「詰めものが取れてしまいまして」
「場所はどこですか?」
「家で。カレー食ってたら取れちゃいました」
「ハハハ。。」
「あっ!あの・・・左上です!」

ははは。

消しゴムと100円ライター

今まで数々の消しゴムを使ってきたが、最後までそれを使い切った、ということは記憶にない。

100円ライターもまた然りで、いつのまにかどこかへいってしまう。
すぐなくしてしまうので、手元にないとつい新しく買ってしまうのだが、使い切って捨てた記憶はない。
だからライターなんて、どこへ捨てたらいいのかさえ、知らない。

消しゴムや100円ライターを拾ったことは何度かある。
でも、無くした数程ではない。
みなさん、同じではないだろうか。

では、無くなった消しゴムやライターはどこへ消えたのか。

ご経験ないだろうか。
つい、消しゴムを落としてしまう。
それで、机の下をくまなく探すのだが、どこにも見当たらない。
いくら探しても見つからないので、諦めてしまう。
で、新しい消しゴムを購入する。
そして、また机の下に落としてしまう・・・。

消しゴムなんて、使い切れば事務職をやっている人でも2、3年もつのでは
ないだろうか。
一人当たり2年で100円。
なんて儲けの少ない商品だろう。
ところが、実際は期待値を大幅に上回って売れているのではないか、
と思われる。

さて無くなった消しゴムは、どこへいったのか。
私の職場ではワンフロアーに100人以上の設計者が働いている。
私はすぐにモノを無くしてしまうタチで、年に4、5回は消しゴムを
無くしているのではないかと思う。

私の場合は無くし過ぎなので、仮に一人当り年間1個、消しゴムを無くす、
と仮定してみよう。すると1年間に100個以上、消しゴムが散乱する
計算になる。

私の会社では年2回、大掃除があるのだが、さてさて、一回の大掃除で
50個もの消しゴムが発掘されるのだろうか。
いや、そんなことはない。
特に私の机の下には年間4、5個の消しゴムが息を潜めているはずなのに、
大掃除の時に自分の机の下から消しゴムを見つけた記憶はない、のだ。

100円ライターにしたって、ちゃんと全国のゴミ箱から売り上げ相当のライターがでてくるのだろうか。中々想像出来ないことである。
(※100円ライターはゴミ箱に捨ててはいけません)

やはりこの世の中には私達に見えない、ポケットというか四次元空間というか・・・
時に人はそれを「妖精さん」と呼ぶが・・・
そんなものが存在するのではないか、と考えてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで私の運転免許証は下一桁が「1」である。
これは、免許が一度再発行された、という意味なのだそうだ。

私は現在は過去の教訓を活かし、免許証は車のグローブボックスに入れっぱなしなのだが、数年前までは机の上のカゴに保管していた。
カゴの中にはその他に普段持ち歩くもの、財布、鍵、携帯電話などが入っている。

ある時、当時学生だったか会社に入ったか、という時期のことである。

私は朝家を出る時、カゴの中に免許証がないのに気付いた。
いくら探してもないので(本当によく捜したのだ)、免許センターに再発行の届け出をした。その時から私の免許証番号は下一桁が「1」になったのだ。

ところがその数カ月後、カゴの中にまた免許証が無くなっているのに気付いたのである。

私は必死で捜した。捜すといっても狭い部屋の中、捜す場所にも限りがある。机の上、下、くまなく捜した。
しかし、免許証は見つからなかった。

私は「部屋にないのだから、きっと革ジャンのポケット、ジーパンのポケット、または車の中・・・どこかにあって、いずれ見つかるだろう」

と考えた。というよりは「1」が「2」になることがとても嫌だったのである。
よって、「いつか見つかる」ことを信じ、それまで免許不携帯を決めてしまったのだ。

その結果は意外な形で実った。免許が見つかったのである。

ところが免許があった場所は服の中でも車の中でもなく、あれだけ捜した部屋の中から見つかったのだ。

しかも・・・下一桁が「1」のヤツと「0」のヤツ、2枚重なって出てきたのだ。

私は免許証を2度なくし、2度に渡って部屋の中を捜したわけだが、捜したハズの机の下から出てきたのである。

私はこう考えた。
「免許証はいつも同じ所へ置いていたから、きっと1枚目、2枚目共に同じ空間の『ポケット』に入ってしまい、その後何かの拍子にポケットから出てきたのだ。
だから机の下にピッタリ2枚重なっていたのだ」と。

でも本当にこの世の空間にポケットが存在するなら、ポケットの中、消しゴムと100円ライターで埋め尽くされているのだろうな。

なくし物については不思議なことがあります。このときは妖精さんの存在を疑っていたのですが、いまは脳科学の視点から説明できますね。ヒトは、思い込みによって見えているものの情報を省略したり、探したはず、とか、あるわけがない、と思い込んでしまうものです。ポケットは3次元空間にあるのではなく、脳の中にあるのです。

自分とはなにか?

バナナ
今日のニュースステーションで大江健三郎が街頭インタビューをしていた。

スタジオで大江さんは
「現代の若者は話すことと考えることが一致している」
と言った。

僕は大江さんがそのことに言及する前、街頭インタビューの場面で
「話すことと考えること」について、まるで予言のように思考していた。
「あの若者達は本当に『考えていること』を『話して』いるのか」と。

僕はTVで大江健三郎さんが僕の問いかけに答えるように喋ったので、
ちょっとびっくりしてしまった。

僕は時折「思考」と「話すこと」または「書くこと」が一致していない、
と感じることがある。

僕の思考は何かを語るにまかせて変動し、文章を追いかけて新たな思考が起こる。もしくは物事を偏って話しているうちに、その話の方向性を見い出すべく思考を用い、その方向性は実際には自分の信念とまったく違うものである、ということがある。
その時僕は自分が常日頃思っていることと違うことを話しているのである。

自分とは、この身体のことだろうか。否、自分とはこの思考そのものである、と僕は断言したい。

ところが、その「思考」や「信念」とは、とてもあやふやなものである。

僕の思考は話すことで新たな思考を生み、信念から生まれた言葉はその信念を過去のものとしてしまう。

アウトプットによって変わってしまう思考、それを自分と呼んでよいのだろうか。現代の若者は確固たる自分を持っているのだろうか。

こうして文章を書いている間にも、自分の言葉を反芻し、そこから言葉を
生み出そうとしている。そう、結論など、最初から持ち合わせていない。

もう一度言ってみよう。
自分とは思考そのものである。

しかしそこから導きだされる結論は、「そこに自分はない」ということだ。
でも自分は確かに存在している!

僕は間違っていたのだろうか。

アウトプットは常に同じではない。自分=不変的なもの であれば、
自分=思考 ではないはずだ。

河に例えてみよう。
流れる水は思考であるとすると、そう、自分とは川床である。
流れる水に削られ形を変えながら、しかも流れの方向を決定づけている存在。
これはまあまあ納得出来る解答である。

僕は先程言った。
「自分とは思考そのものである」と。
しかしその言葉を言うことによって、
「自分とは川床である」
という、全く別の答えを導きだした。

この文章は単なる言葉遊びであり、独り遊びである。
自分の言葉の軽さ、または重さを、自分の思考の流動的なことを、
実験しながら証明した結果である。
(2003年11月25日)

自分とは何か。なんか、難しいこと言ってますね(笑)。川床のようなもの、というのは確かにわかりやすい。少なくとも30歳当時の僕と、いまの僕はほとんど別人です。300年前の荒川と、現在の荒川くらい違う。

ちなみにこのテーマについて、50歳手前の僕はかなり明確に「自分」の源泉が見えています。自分は身体の延長であると考え続けると、最終的なワンネスにたどり着きます。最終的なワンネスから見れば、「自分の考え」と思っているものは、ほとんどが初期設定と自動的な反応にすぎません。

エイリアン

先日、ボウリングに行った時のこと。
隣のレーンの小僧どもがあまりにマナーが悪く、不可解な行動を
とる為、僕らは怒りを通り越して呆然としてしまった。
彼等の行動は、僕達の認識をはるかに越えているため、
僕らは「彼等は地球人ではない。エイリアンだ」と断定した。

【エイリアンの行動】

1)レーンは禁煙なのに、タバコを吸っている。
2)しかも公共の灰皿を勝手に自分のレーンに持ち込んでいる。
3)灰皿を持ち込んでいるのに床にタバコの灰をはたく。
4)僕らのレーンの座席に勝手に座る。
5)投げる度に奇声を発する。
6)隣で投球フォームに入っていても気にせず投げる。
 同時投げなどは当たり前。
7)驚くべきことに隣のレーンにボウルを投げる。
8)1m程ファウルラインを越えて投げる。
9)ビックリする程ヘタクソである。

最近このようなエイリアンの数が圧倒的に増え続けている。

月9ドラマ「プライド」で、「ハル」こと木村拓哉がふざけた
大学生相手に言った。「おまえらこの世からいなくなれ!」と。

同感。自分勝手で他人に気を使うことを知らないエイリアンは
いつかこの世から消えてしまうことを願う。
(2004年2月15日)

ここ5年以上、ボウリングをしてませんが、ボウリングってマナーが大事なんですよね。2つのレーンで対戦者と順番に投げるので、常に周りの状況を把握して呼吸を合わせたり、相手をリスペクトしたり、無言のコミュニケーションが必要なスポーツです。なので、通常のコミュニケーション力もないエイリアンには向きません。

煙草の神様

学校から帰ってくると、煙草がないことに気付いた。
切れたのではない。
見当たらないのだ。

確か、帰宅した時にポケットの中の財布やら定期券やらと一緒に
机の上に置いたはずなのだ。
ところが机の上には見当たらない。
ただし一緒にポケットに入れていたライターだけは見つかった。
おかしい。

煙草は LARK ONE だ。
箱を開けてまだ2、3本しか吸っていない。

僕は駅から自宅までの道のりを、自転車で逆に辿ってみることにした。
落としたのかもしれないからだ。

駅に向かって半分程進んだところで、道端に煙草を発見した。
やはり落としたか。
・・・ところが、拾ってみるとそれは LARK ONE ではなく、
ケントマイルドであった。

更に進むと、駅へ4分の3程度のところで、煙草を発見。
これか。
・・・ところが、それはやはり LARK ONE ではなく、CABINであった。

更に遡り、8分の7のところで煙草を発見した。
期待はできない。
やはり、それはセブンスターのボックスであった。

・・・そして、16分の15のところでフロンティア、
32分の31のところでキャスターマイルドを発見し、
64分の63でマイルドセブン、128分の127でマールボロ、
そしてついに256分の255進んだところでピースを拾い、
駅の自動改札前に着いてしまった。

ここまで来て、僕は神様にからかわれているのだ、と思い、
探している LARK ONE はやはりきっと家にあるのだ、と確信した。

僕は駅から家に向かった。
ピース、マールボロ、マイルドセブン、キャスターマイルド、
フロンティア、セブンスター、キャビンと進み、家路へ半分のところで
ケントマイルドを見つけた。

しかし何でこう、煙草がいくつも落ちているんだろう。
しかしここまでは確認済みであり、おかしなところはないといえば、ない。

ところが家まで4分の3付近で煙草を発見した。往路では気付かなかったが・・・
驚いたことに、落ちていたのは LARK ONE だった。
来る時に気付けば駅までいかずとも済んだのに・・・。

まあ、いい。無くなったものが見つかっただけでもすっきりする。
念のため本数を数えたが、17本入っており、なくした状態と同一である。

僕は帰りを急いだ。もう、路上をチェックしながら走る必要はないのだ。
自転車のカゴに入れた煙草がカタカタ音をたてる。

突然、急ブレーキを踏んだ。
視界に入ったのだ、LARK ONE の箱が。カゴの中ではなく、路面に、である。

確かに LARK ONE である。
距離でいうと、駅から8分の7走ったところだろうか。

蓋を開けると、17本の煙草が残っていた。
・・・僕が落としたのはこっちだろうか?

まあ、いい。僕はもう一つの煙草を無造作にカゴに放り込み、自転車を漕いだ。

人間というのは学習するものだ。理屈ではない、が、予想がつくのだ。
更に残りの道を半分、つまり16分の15進んだところで LARK ONE が落ちていた。
もはや数は数えるまでもないが、やはり17本の煙草が残っていた。

神は僕に何をおっしゃりたいのだろうか?

僕が落とした煙草は一箱、他は自分のではないのだ。いや、全て自分のモノではないかもしれない。
しかし、僕はそれもまたカゴに放り込んだ。まあ、得したのだ、警察に届ける程の物でもないだろう。

そして誰もが根拠もなしに予想するように、
僕は更に32分の31の所で LARK ONE、
64分の63の所で LARK ONE、
128分の127で LARK ONE を拾い、
最後に256分の255で LARK ONE を拾って家の前に着いた。

合計7箱の LARK ONE をカゴから出し、家の中で机の上に置いてみた。
7×17=119本の煙草が入っている。

何もおかしなところはない、はずだ。
ただ、この奇妙な感覚はなんだろう?疲れているんだ。
僕はそのまま、眠りに就いた。

翌朝、目が覚めて机の上を見た時、これ以上ない程うんざりした。
今日も「あの道」を通って学校に行かなければならない。

僕はその日、学校をサボることにした。だって、机の上には7箱の煙草があるはずだった。
それが一箱もなくなっている、ならまだいい。そんな神様のやることは「計算」出来るから。

机の上には、煙草が3箱。中には7本、11本、15本の煙草が数列を作っていた。
(2004年4月29日)

これ、詳細は記憶にないけれど、途中まで事実を書いて、だんだんエスカレートしてショート・ショート化してしまったのだと思います(^^;  ちなみにこの1年後くらいに禁煙して、以後15年以上吸ってません。

塾講師、はじめました

随分と間が空いてしまった。とても忙しかったのである。
苦しかったのである。しかし、ネタに困っていた訳ではないのだ。

10月より、塾の時間講師を始めた。
生活が逼迫してきたからだ。

時間講師を選んだのは、最近の教育情勢に興味があったこともあるが、
単純に時給が高かったからである。

しかしそれは甘かった。学校が終了してから仕事に行くと、どうしても2コマしかとれないのだ。
しかも予習や授業の延長、生徒が帰宅するまでのコミュニケーション、その他毎日の報告書などの作業を含めると4時間程仕事をして、2時間ぶんの時給しかもらえないのだから辛い。

いや仕事が辛いワケではなく(実際思う所が多く、辛いといえば辛いが)、トータルで稼げないから生活が成り立たないのだ。
実際一ヶ月働いて、市民税と健康保険を払うと何も残らない。

食費も学校の交通費も授業料も払えないのだ、そりゃー困る。
・・・え?他の仕事を探せばいいって?それは出来ない訳があるのです。掛け持ちは禁止されてるし、生徒を持つと、簡単に彼らを手放すことは出来ないじゃないですか。

・・・まあ、それはいいとしよう。(ぜーんぜん良くないが。どーしよう?)
とにかく僕は現在中学一年生と二年生の数学を担当する講師なのである。

こうゆう仕事をやってると、とても言いたいことが溜ってくるのであって、それは塾の方針と自分の教育理念との間の葛藤であるとか、「ゆとり教育」の悪しき影響だとか、何でもかんでも「体罰だ」てな世の中における子供達の態度だとか。いろんなことを考えるわけです。

なんでものめり込んでしまう僕は最近毎日のように三角形の合同だとか関数のグラフだとか、難しい生徒との会話だとか、そんな夢ばかりみます。

そんなこんなで、しばらくは「塾&教育ネタ」シリーズで、このコラムをお送りして行こうかな、と。
とはいえ、睡眠時間も足らないので、あせらず、無理せず、今日はこの辺で。
('04.11.30)

教える仕事ってのが僕の天職だとは思っていますが、生活できないのでは論外。ただ、色々な職種を経験できたのは良かったです。

うつはうつる?

随分と間が空いてしまった。とても忙しかったのである。
苦しかったのである。しかし、ネタに困っていた訳ではないのだ。

あれれ。。。半年何も書いてなかったですね。失礼しました。
忙しくてですね。しかも色々ありました。

えー、まず。塾講師は辞めましたですね。5ヶ月勤めました。
やり甲斐のある仕事でしたんですけども、生活が苦しくて。
同時にやっていた販売員の仕事一本に絞りましたです。
こちらもまぁ、色々ありました。ここでの仕事については言いたい
ことがヤマ程あるんですが、ほとんど愚痴になってしまうので
割愛させていただきます。

仕事以外に大きな変化といえば、引っ越したことですね。
バイトを夜遅くまでやっているせいで、学校に通うのが辛かった
ので、家賃を払う経済的な辛さと天秤にかけて決めました。

安い古いアパートでルームシェア。相手は同じ学校に通う少年です。
といっても19歳ですが、少年です。
でも彼は実家に引き蘢ったまま、こちらには引っ越してきてません。
ので実質は一人で暮らしてます。

引っ越して2ヶ月、やっと家具や生活家電が揃ったところで(TVは
置いてないですが)、PC環境も電話を引いたり、ついでにOSを
入れ替えたりしていたため、中々サイトを更新出来なかったわけで
ございまして。

えーと言い訳はこのくらいにして、『うつはうつる?』という疑惑
が最近わたくしの頭の中で大きくなってまいりました。
それにはもちろん理由がございます。一番大きな根拠は「俺の
周りには鬱で病院に通っている人が多すぎる!」というコトですね。

確認のため、友人に「鬱や不眠でクスリ飲んでる人、いる?」と
聞いたところ、いない、と。でもワタクシの知り合いでは6人、
とりあえず不眠の症状だけの人も含めて7人の人が病院に通って
いる(いた)のです。そして、もしかすると引き蘢りがちな同居人
も…。

でもなんですね。あまり無責任なことを書いて影響を与えてしまって
もよろしくないので、この辺にしておきましょう。
ただ、もう一度確認しておきますが、ネタに困っていた訳ではない
のですよ・・・
(2005年6月24日)

引っ越ししたのですね。環境の変化は、うつ状態の克服にいいことだと思います。アルバイトも変えているので、状況は良くなっていますね。

ないもの。

ありそうでないもの。
ゲンゴロウ飴。
めかま。
枕時計。
糸ぎんちゃく。
くずきりだんご。
胡麻砂糖。
牛座。
ザマ見習え。
駅前のホームで待ち合わせ。
戦争の正義。
吟醸米。
イボ羊羹。

(2005年9月23日)

この頃、とても身近な人が自殺未遂を繰り返し、この文章の前日に怒りを伴った文章が投稿されていました。僕も相当追い詰められていたはずなんですが、その反動でしょうか。なんだよゲンゴロウ飴って(笑)あ!今気づいたけど、これってしりとりになってるんだ!そうか牡牛座はあるけど、牛座(うし座)はないのか~へぇ~なるほど

山彦との会話

「やっほー!」
「やっほー!」あ、やまびこさんだ!

「やまびこさんですねー!?」
「やまびこさんですねー!?」

「わたしはやまびこではありませーん!」
「わたしはやまびこではありませーん!」

「では誰なんですかー?」
「では誰なんですかー?」

「わたしはぁ、人間でぇす!」
「わたしはぁ、人間でぇす!」

「山の頂上に立っているのが見えますかぁ?」
「山の頂上に立っているのが見えますかぁ?」

「見えませーん!どこですかー?」
「ここでーす!」

はい、このあと当時使っていたinfoseekのサービスが中止になり、サイトも閉鎖になりました。そしてブログの時代へ・・・

うつ・不眠ネタのアーカイブはこちら↓

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